「この週末のうちにね、死んじゃおうと思って」
「この週末のうちにね、死んじゃおうと思って」
宿題を済ませる算段でも話すみたいに、三千花は言った。手許のオレンジジュースがストローで掻きまわされて、ぶつかり合った氷が澄んだ音を立てる。
「そうなんだ」
「うん。だからね、今日はあたしの奢りね」
「えー、だったらもっと高いドリンク選べばよかった」
わたしは減らず口を叩く。三千花はへらりと笑う。わたしが注文したホットコーヒーは390円。この喫茶店で、最安値のメニュー。親友からさいごに奢ってもらうにしては、いささかぱっとしない。
わたしと三千花は仲がいい。何故ならわたしも三千花も人並み以上に利口で、それゆえ物心がついた頃には、生きていてもあまり甲斐が無いことに気づいていた人間だからだ。自殺願望。希死念慮。定義はどうだっていいのだけれど、とにかく、わたしたちは割といつでも死にたくて、その機会をうかがっているという点に於いて、まぎれもなく同志だった。
この世に生きる多くの人にとって、死にたいということは、とんでもなく大事であるらしい。わたしと三千花は利口であるので、みずからの死生観について、ほとんど他言しなかった。己の生命を尊ばない人間がどのような扱いを受けるかなんて、思案するまでもないからだ。
だからわたしと三千花にとって、お互いはとても貴重な存在だった──とはいえ他人を完璧に理解することなどできるはずもないから、三千花の本心はわからない。わからないけれど、少なくともわたしにとって三千花はかけがえのない親友であったし、三千花だってわたしのことを、人生の去り際にコーヒーの一杯くらいは奢ってやってもいい相手だと思ってくれているのは事実だ。
わたしたちは割といつでも死にたいので、三千花が週末のうちに死んでしまおうと考えたとしても、わたしは特に驚かない。そういうタイミングだったのだろう。週明けには数学の小テストがあるし、月末には定期考査が控えているし、来年になれば受験が待っている。生を放棄するに値する条件は、いくらでも挙げられる。
「雨が降りそう」
三千花が窓の外を指差す。空には如何にもな暗雲が垂れ込めていて、木立が不吉にざわめいていた。
「来週までずっと天気悪いらしいよ」
「マジかー。さいごにもっかいお天道さま見てもよかったな」
ま、仕方ないね。諦めの言葉とともに、三千花はストローの先を噛み潰す。グラスの中はほとんど空で、融けかけの氷のすきまにうっすらと橙色の液体がわだかまっている。
わたしは三千花に死んでほしくない。何があったわけでもなく、ただぼんやりと怠くなったとき、死にてぇとつぶやくわたしの隣で、死にたいよねーと返してくれる三千花がいなくなるのは嫌だ。他愛ない会話のあいまに、死にたいなーとぼやく三千花に、死にたいですなぁとうなずき返していたい。
それでもわたしは、三千花に死ぬなと言えない。わたしたちを親しくさせていたのは、死にたいというわたしたちの気持ちそのものだ。だから三千花の言葉を否定できない。却下できない。わたしは三千花を裏切れない。
天気が荒れる前に帰ろう、とわたしたちは席を立つ。湿気に潤む外気は生ぬるく、風に遊ばれた髪が視界を遮って鬱陶しい。
「じゃあね」
前髪を押さえた三千花が、わたしに向かって手を振る。わたしは黙って手を振り返す。
わたしと三千花は、人並み以上に利口だった。だから生きていてもあまり甲斐が無いことをずいぶん前に知ってしまって、死にたいなあと思いながら生きてきた。それはひどく気怠く退屈な人生で、だからその無為な時間を共有できる相手を見つけたとき、わたしはとても、嬉しかった。
わたしたちが、もっともっと利口だったら。遠ざかる三千花の背を見送りながら、わたしは考える。わたしたちがもっともっと利口だったら、生きることに甲斐を見つけることだって、或いはできたかもしれない。それとも、わたしたちがもうちょっと、ほんの少しでも愚鈍であったなら、甲斐など無くとも生きていけたのかもしれない。
週末が晴れでありますように、とわたしは祈る。三千花がさいごにもう一度、陽の光を浴びられますように。三千花がさいごに見る太陽が、どうかこの世でいちばん美しいものでありますように。

